〈ハッピーの死〉
ハッピー、というのは、私の隣の隣に住んでいるシベリアンハスキーの名前です。
シベリアンハスキーっていえば、動物のお医者さんにでてくるチョビやジンペイが自分の中では代表的です。
さて、このハッピー、私がここ地元にこしてきてから今の今までずうっといました。
そう、最近になって死んだのです。
私がここにきたのは幼稚園の時で、今、二十一歳なわけですから、十六歳は確実ですし、そもそも私が幼稚園の頃から、かなりでかくなっていたので、推測するに十八歳くらいなんでしょう。
もしかしたら、もっと年上なのかもしれません。
このハッピー、まあ大型犬ですから、幼稚園時代、小学時代の自分からしてみれば、かなり怖い感じでした。
あの頃は、威勢もよく、側を通るだけで、フェンス越しに追いかけてきたものです。
あまりに大きすぎて、飼い主(老人夫婦)が散歩できなかったから、寂しいのでしょう。
しかし、それも時が経ち、次第に追いかけなくなりました。老犬になりつつあったからだと思います。
毛に白いものが混じり始め、ヨボヨボした感じが明らかでした。歩き方一つとっても、なんだか弱々しくて、追いかけてきていたあの頃が嘘のようです。
二年ほど前、ハッピーが散歩してもらっているのをよく見かけることがありました。
誰だか知らないんですけど、若者が、散歩、というかハッピーに引っぱられていました。
別段、ハッピーは駄犬ではないですし、忠犬であるならば、綱を引っぱらないだろう、とも思うのですが、ハッピーは日頃、不自由でしたから、嬉しさのあまり、ああなっていたのでしょう。
というのも、いくら子犬に吠えられようと知らんぷり
工事でやかましい音を立てられても、他の犬が吠えている中、ハッピーだけは、吼えていませんでした。
そう、ハッピーの吼えている姿を、私は見たことがありません。
しかし、いつだったかもう忘れましたが、
夜な夜な、錆びそうな、それこそ狼の遠吠えらしきものが、夜に響いていたのを今でも覚えています。
とても寂しくて、冷たくて、悲しそうな遠吠えです。
一体、どこの犬だ、と思っていると、なんとハッピーでした。
と、まあ、何かしらハッピーは自分の中で、ちょっとした存在でしたし、何より、他の犬と一線を画したところにある犬でした。
駄犬はわんさかいます。近くにいるビーグル犬なんざ、飼い主までもが駄人間でして、綱を外して散歩しているものだから、こっちに襲いかかってくる始末です。
次回、襲ってきたら、こっちが襲ってやろ(略
と、まあ、脱線するのはさておき、駄犬が目立つ中、ハッピーだけは礼儀をわきまえている犬でした。
怖くてさわったこともないし、名前を呼んだこともありません。ただ、かつての友人が、あの犬はハッピーだよ、と言われていたのを聞いたから、名前を知っているくらいで。
でも、それがいなくなると、少し心にぽっかり穴が空いたように思えます。
なんだかんだいって、自分の祖父母は母方父方ともに、健在ですし、人の死に直接向き合ったことがありません。
だから、正直なところ、ハッピーが、自分の中での、直接的な死なのかな、と。
まあ、人間じゃないんですけど、でも、十六年間も、あのフェンス越しから、ジッと見られていたものだから、妙な親近感があります。
これから、もっと死に直面する機会が増えてくる、んでしょうね、きっと。